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大学案内

卒業生座談会01


埼工大で培われた、未来を切り拓く力

埼玉工業大学で学び、現在は会社の経営トップとして、あるいは重役として活躍する卒業生3人が母校のキャンパスを訪問。
学生時代を振り返っていただくとともに、大学での学びやキャンパスで過ごした経験が、
その後のキャリアや人生にどのように役立ち、どのような影響をもたらしたのか。
そして、これから企業に求められるのはどのような人物なのかを聞いた。

石井 孝さん

荏原実業株式会社 
代表取締役社長執行役員兼COO

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1984年、工学部 環境工学科卒業。千葉県立船橋啓明高等学校出身。ポンプや冷熱機器などの産業機械を手がける荏原実業に入社後、営業職でキャリアを積み重ね、2024年より現職。

藤平 修一 さん

富士フイルム和光純薬株式会社
取締役 専務執行役員

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1982年、工学部 環境工学科卒業。千葉県立大多喜高等学校出身。入社後、臨床検査薬事業部の営業職としてキャリアを重ねた後、現職。

樺沢 賢治 さん

丸一鋼管株式会社 
常務執行役員

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1982年、工学部 機械工学科卒業。北海道芦別高等学校出身。入社後、営業職としてキャリアを積み、東京事務所、名古屋事務所、広島事務所で勤務した後、現職。

聞き手

【司会】松浦 宏昭 教授
学長補佐
工学部 環境工学科 2000年卒業 
高知県高知高等学校出身

【学生】小林 瑠花 さん
工学部 环球体育官网下载_环球体育平台-APP注册
応用化学専攻3年
群馬県立渋川女子高等学校出身

営業職でキャリアを着実に積み上げた末に経営層へ

―――藤平さんと樺沢さんが本学3期生の同級生。石井さんは2学年後輩というご関係になるかと思いますが、まず卒業後のキャリアについてそれぞれ教えてもらえますか?

藤平:私は1982年に、武田薬品グループだった和光純薬工業に入社しました。その後、富士フイルムのグループの会社になり、現在の富士フイルム和光純薬という社名に変わっています。入社してすぐに配属されたのが臨床検査薬事業部でした。臨床検査薬とは、人の血液の成分を検査する薬品です。それ以来、営業畑で働いてきました。
現在は専務取締役となり、同時にヨーロッパのグループ会社の統括も行っております。ヨーロッパの拠点があるドイツには、年に数回行きます。それ以外の日も、全国の支社を回る日々を送っています。

樺沢:私は卒業後、丸一鋼管という鉄を中心とした金属のパイプを製造する、大阪本社の会社に入社し、藤平さんと同様に営業職の仕事をしてまいりました。東京、名古屋、広島と転勤を重ね、現在は大阪本社の営業部長(常務執行役員)を務めており、同時に北海道のグループ会社の社長も兼任しています。

石井:私は新卒でポンプや冷熱機器等の機械を製造する荏原実業に入社しました。最初に商社部門に配属となり、私も営業職でキャリアをスタートしました。2019年に取締役となり、24年に代表取締役社長執行役員兼COOに就任いたしました。
―――お三方とも営業職としてキャリアを積んでこられたということですが、今日にいたるまでにはご苦労もあったかと思います。

藤平:私の場合、営業職だからというより、大学の専攻とはまったく関係のない仕事に携わることになり、それがショックで入社して間もなく五月病になってしまいました。
それでも会社の辞令ですから、従うしかありません。腹を括りまして、1日に1種類ずつ製品を勉強しようと決意し、勉強を始めました。1年ほどたった頃には浅いながらも、一通りの知識を覚え、何とか仕事についていけるようになりました。
現在、学長である内山先生は学生時代の恩師で、社会人になってからも苦境の時はアドバイスをいただくなど、支えていただきました。

石井:私も環境工学科出身でしたから、機械を扱う仕事に配属になった時は困惑しました。実は、大学での研究や知識を活かせる、水質や大気を測定する研究機関での勤務を希望していたのです。ゼロからというよりマイナスからのスタートだったものですから、藤平さんと同じように、入社して早々に専門外の機械について一から勉強を始めました。

藤平:社会に出ると自分の思い通りにはいかないものです。ただ、当時は大変でしたが、今思えば入社後真剣に勉強したのが、かえってよかったと思います。

石井:私も社会に出てからも学び続けたことは、結果的にはよかったと思っています。

樺沢:私の場合、入社した当初はハードルを感じることもなく、景気もよかったので元気に動き回っていたのですが、その後のリーマンショックで状況が一変しました。主な取引先である自動車メーカーが業績不振となったことから、当社も非常に苦しい状況になり、私は広島事務所の立て直しを任されました。
この時はずいぶん苦労しましたが、「これ以上は悪くなることはないだろう」と覚悟を決めて取り組んだ結果、なんとか業績を回復させることができました。

大学時代に得たのは、学生同士の交流と恩師とのつながり

―――松浦:大学時代を振り返っていただきたいのですが、本学で学んだことが今のキャリアにどのように役立ってきたでしょうか。

藤平:正直に言うと、学生の時はあまり勉強しませんでした。それより学生同士のコミュニケーションや恩師との交流など、人間関係を築くことができたことが、その後の自分の支えになったように思います。
当時は大学関係者の方が保有するアパートに住んでいまして、そこには埼工大の学生ばかり25人ほど住んでいました。樺沢さんともそこで一緒でしたし、他の学部学科の学生もいました。日本全国いろいろな地域から来た学生と人間関係を構築できたことが、その後の人生に深く影響したように感じます。

樺沢:それぞれが大学の友だちや知り合いを連れてくるので、多い時は100人ほどの埼工大生がそのアパートにいたこともありました。埼工大生の交流の場でした。

藤平:たまに大学の先生もアパートに訪ねて来られて、一緒に部屋でお酒を飲むこともありましたし、時にはそのまま泊まっていかれることもありましたね。

樺沢:大学の寮での交流は非常に貴重な経験、財産となりました。
一方で、大学時代は少しずつ社会人に近づいていく時期ですから、学生同士のつきあいだけでなく、アルバイト先の大人の人たちや社長さんと話す中で、社会について教わったことも多くありました。

石井:私も1,2年生の時には大学の寮に入っていましたから、やはりお二人のように他の学科の学生たちとも自然にコミュニケーションをとっていました。今思えばそれがよかったと思います。1,2年で卒業に必要な単位の大半を取得できたので、3年以降は千葉県の実家から通うことにしました。2年間だけの寮住まいではありましたが、親元を離れて暮らした経験は貴重でした。
―――松浦:おそらくみなさんは学問にも励まれたと思いますが、それ以上に人との関係構築が印象に残っている点は興味深いところです。

樺沢:人間関係が何の役に立つのかと思う人がいるかもしれませんが、組織の階段は自分の力だけでは上れません。上を目指すには引っ張ってもらえるような行動をしなければならないわけですから、人との関係づくりや躾は現実問題として重要な要素なのです。私の場合、人間関係を構築する力は大学時代に培われたものでした。

石井:研究室の先生の存在も、私にとっては大きいものでした。4年生の時は毎日千葉から大学に通っていましたので、私が研究室に夜までいると、「石井、帰るぞ!」と先生が声をかけてくれまして、よく車で深谷から大宮駅まで送ってもらったものです。その間、車内で先生と研究以外のお話もさせてもらったことは今もよく覚えています。
―――松浦:小林さんは、先輩方のお話を聞いていかがですか?

小林:学生同士や先生との距離が、今より随分近かったことがうかがえました。今、私が先輩とかかわる機会は、オープンキャンパスのボランティアをしている時くらいで、通常の学生生活ではほとんど接点がない状況です。でも、もっと積極的に先輩方のお話をうかがったり、知り合いを増やしていくと学生生活が豊かになりそうだと感じました。
―――松浦:コロナ以降は飲み会なども少なくなりましたからね。でも、4年生になると研究も始まるので状況は変わると思いますよ。

小林:研究室の学生は4、5人程度なので人数は限られますが、密にコミュニケーションをとりたいと思います。

樺沢:他の研究室とも交流をどんどん広げていけばいいと思いますよ。

小林:そうしたいと思います!

研究で鍛えられことで身についた社会で活きる力

藤平:先ほど勉強はあまりしなかったと言いましたが、今、石井さんも話していた通り、私も卒業研究はしっかりやっていました。研究活動を通じて、鍛えられましたね。

石井:研究では自分で実験の計画を立て、準備をし、実験の記録をとり、結果をまとめ、客観的に評価する、という手順がありますよね。しかも先生から頼まれて、2,3年生に実験の指導もしていたので、教えることで自分に定着していきました。実験のプロセスは、仕事を進める時の手順や考え方の基本ですから、社会人になっても非常に役立ちました。

樺沢:私も4年生の時はアルバイトをやめて、英語の文献を日本語に翻訳したり、実験結果をまとめたりと、卒業研究には時間をかけました。その分、経済的にはひもじい生活でしたけど。
埼工大で学んだ学習のプロセスが社会で役立ちました。

―――松浦:研究に関してはみなさんしっかり向き合っておられたようですね。

藤平:あの経験があるから、私は会社をほとんど休んだことがありません。数十年の間、ほぼ皆勤賞です。
―――松浦:そういえば小林さんは石井さんのように、遠いところから大学まで通っていますよね。

小林:はい、実家が群馬県の渋川市で大学から少し離れているのですが、一人暮らしは父から許してもらえず、1,2年生の時は電車通学をしていました。レポートも電車の中で書くことが多かったですね。でも、あまりに大変だったので、3年生からは自動車通学をしています。今は毎日往復100キロメートルを運転しています。

石井:勉学のために通学を頑張った経験は、必ず社会で活きると思いますよ。

藤平:会社員になれば、そのようにして会社に通うことになりますから、小林さんは就職した後、長く働ける人だと思います。

企業が求める人材像とは?

―――松浦:会社の経営を担うみなさんに、企業ではどのような人材が今後、求められるのか教えてもらえますか。
藤平:採用面接で当社を志望した理由を聞くと、「御社は業界トップだから」とか「将来性を感じて」など、当社の良いところを話してくれます。そこで私は「では、うちの会社に悪いところはないですか?」という質問をよくします。
それに対して、99%の人は「特に思い当たりません」と答えます。ところがごく稀に「御社は良い会社だと思いますが、〇〇の面は課題だと思います。その点が改善されるともっと良い会社になると思います」と答える学生がいるのです。真剣に当社への入社を希望していることがわかりますから、強烈に印象に残ります。
何が言いたいかというと、そういう学生は、たとえば海に氷山が浮かんでいるとしたら、水の上の見えている部分ではなく、見えない下の部分に意識を向けているのです。こういう人は間違いなくいずれ成功する人です。
表からは見えないところにも
意識を持つ学生は有望です。

―――松浦:そのように答えられる人は、どれくらいの確率なのでしょうか。

藤平:1000人に1,2人ほどです。自分が学生の時は、そのような考え方はできませんでした。だからこそ、ここで伝えておきたいと思います。

石井:当社は下水道処理施設など、社会インフラを担っていますから、責任感のある人を求めています。仕事では日々困難にぶつかります。そういう時に逃げることなくしっかり課題に向き合い、試行錯誤しながら解決策を探していくような自立型人材が、今求められる人物像ではないでしょうか。
実は、困難は自分が成長できるチャンスなんですよね。持てる知識や経験でどこまでやれるかと、前向きにチャレンジしていく人を当社でも求めています。

樺沢:もう一つ加えるなら、広い視点を持っている人です。そこには2つの要素があります。1つは今の状況だけでなく、将来の世界を予測する視点。たとえば、私が学生だった頃、中国はまだ発展途上で、日本に追いつくことなど想像がつかないような状況でした。
ところが、当時商社に勤めていた叔父は「これからは中国だ。中国語を勉強しときなさい」と盛んに私に忠告してくれたものです。残念ながら私はその意味が理解できず、中国語の勉強はしませんでした。ところが入社して10年が過ぎた頃に、当社が中国で工場を建てることになり、そのプロジェクトに私も参加することになったのです。その時にやっと叔父の言っていたことを思い出し、後悔しました。
これからはインドやアフリカ、東南アジアの時代と言われています。未来を予測して行動する学生さんは評価されるでしょう。先を見通して勉強することは重要です。
もう一つは、バイタリティーです。度胸と言い換えてもいいかもしれません。特に、大きく変化を遂げている今、世界に飛び出せる大胆さや度胸が必要で、そういう若者が求められています。

学生時代にやっておいた方が良いこととは?

―――小林:みなさんが今振り返って、学生時代にやっておいた方がいいことがありましたら教えていただけますか?
藤平:同級生、先輩、後輩、そして先生方と良い関係を築いてから、社会に出てほしいと思います。というのも、社会に出ると、一度や二度はきつい局面に立たされます。そういう時に支えてくれるのは、大学時代の仲間や先生なのです。私自身、樺沢さんをはじめ学生時代の友人や恩師などと、卒業後もことあるごとに会ってはお酒を飲んだりしてきました。いざという時に相談できる人がいるかどうかは、社会に出てから重要です。

樺沢:先ほど言った通り、社会で働くには知識やスキルの前に、バイタリティーやタフさが必要です。そこで、学生のうちに見知らぬ国に行ってみることをお勧めします。学生が一番持っているものは何かと言えば時間です。
言語の不安もあるでしょうし、お金も必要ですが、海外に行けば視野は広がります。その体験は後に必ず仕事で活かされます。
見知らぬ国に行くと
視野が広がり精神的にも強くなれる。

石井:私も学生には人と関わりながら、学生でしかできない経験をたくさん積んでもらいたいと思います。学業でなくてもサークル活動、アルバイト、ボランティア活動など、何でも結構です。
社会人になるとさまざまな人と関わることが必然的に求められます。その練習だと思って学生時代に取り組んでみてほしいですね。多くの人と関わることで、自分自身の価値観も磨かれ、自分が将来やりたい仕事に気づくきっかけになることもあります。

藤平:埼工大は学風もカリキュラムの面でも、人間関係が作りやすい環境だと私は思います。

埼工大には人の成長をサポートする環境が整っている

―――松浦:最後に、みなさんが思う埼工大の魅力について語っていただけるでしょうか。

藤平:なんといっても、学生同士の仲間意識が強いところですね。学科や専攻が違っていても互いに近い距離感で関われるし、他の学科?専門を学べるうえ、研究室同士のつながりもあります。そこが埼工大のよさでしょう。
また、小林さんのように、遠い実家から通う人も多いとも聞きますので、それも誇れるところだと私は思っています。大変な思いをしながらも毎日、大学へ学びに来る学生が多いということは、真面目さと忍耐力や我慢強さを持ち合わせている証拠です。そういう人たちは会社で着実に成果を出し続けられる人たちだと思います。

樺沢:大学が産業界の流れを先取りした研究に力を入れている点も、特長でしょう。最近では水素やアンモニアの研究にも力を注いでいると聞きます。この分野はまさに今後、産業界で求められる領域です。大学で学んだことが社会で活かせるチャンスが多いと思います。

石井:私自身は、先ほども言った通り、研究を通じて学ぶ「学習のプロセス」と友人との交流で培われる「コミュニケーション力」だと思います。先生と近い距離感で学べるのも埼工大の魅力ですね。


―――松浦:今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

―――小林:ありがとうございました!
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